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オーストラリアの花と植物

オーストラリアにはワイルド・フラワーを含めたとても多くの種類の花や植物があります。現在オーストラリアから日本への切花の輸入量は、日本における切花の総消費量の僅か1%未満ですが、ワイルド・フラワーについてはネイティブ品種の部門において毎年安定したシェアを保っており、特に出荷のピークとなる9月から10月にかけては、色鮮やかで珍しい花がたくさん入荷してきています。

日本に輸出される花や植物の品種は、現地にて観賞用に生産または採取されている品種のうちのごく一部。現地には今のところ国内用のみに生産されている品種もあり、実際には現在日本で流通しているより、はるかに多くの品種を輸出することが可能です。

当サイトでは、オーストラリアの切花や植物が日本に届けられるまでの各段階のストーリーと代表的な品種について、オーストラリア大使館・貿易促進庁の職員による現地の視察と、現地の協会等を通じて入手した情報をもとに、約10回程度に分けてご紹介いたします。 

Vol 8. ワイルド・フラワー生産100年の歴史

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(パース・パリーがアシスタントと共に、ロンドンのオーストラリア・ハウスで飾るための花を箱詰めしている様子)  

Introduction

ワイルド・フラワーは今日海外でも気軽に購入できるようになりましたが、その生産や流通はオーストラリアにおいて、いつ、どのようにして始まり、今日に至っているのでしょうか。
オーストラリアでワイルド・フラワーの商業生産が始まったのは1913年と考えられており、今年2013年はそれからちょうど100周年を迎える、記念すべき年となりました。
今回はこの産業の歴史を支えてきた人々についてご紹介いたします。

パリー・ファミリー (ワイルド・フラワーの商業生産にはじめて着手した生産者)

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パース&オリーブ・パリー夫妻 
(OAM: Medal of the Order of Australia)
 

パリー・ファミリー(Parry family) はオーストラリアのネイティブ品種のワイルド・フラワーを商業生産した第一人者であると考えられています。1913年、ヘンリー・パリー氏がNSW州のCentral Coastの近く、Kariong地方にあるFloralandsという名前の地で生産を始めたのが、この産業の歴史の始まりです。

ヘンリーと彼の弟チャールズは、柑橘類の生産をする傍ら、父親である、ウイリアム・パリー氏が1800年代後期から行っていた、花の販売も継続していました。当時は山林などに自生している花を採取し、販売するのが一般的でした。
ヘンリーは1908年頃、NSWのGosfordの近くに借りていた土地に自生していた花を採取し、販売してました。後にその土地を買い取り、Floralandsと名づけました。

チャールズはシドニー市場にクリスマスブッシュを届けていました。当初は自然に自生していたものを採取していましたが、後に品質と歩留まりを上げるために、自分が所有する土地に自生している植物を剪定し、肥料を与え、周囲の土地を耕すといった手入れをするようになりました。そして同じ土地に育ったクリスマス・ブッシュを見比べ、品質の良いものを選び、それを元に増殖するようになりました。柑橘類の生産で培った経験を活かし、質の良くない木を切り倒し、質の良い木の新芽を接木する方法を採用したのです。

 

彼らが花を採取していた地域で農場開拓が進み、自然に自生する花が徐々に少なくなってくると、ヘンリーは野生品種を積極的に保護していくことの重要さを意識するようになり、持続可能性を考えた上でも商業生産を始めることが極めて重要であることに気が付きました。そして1913年、ついにワイルド・フラワーの生産を始めたのです。

1915年になると、ヘンリーの弟で、園芸家であるパース・パリー氏も加わりました。パースは1920年にヘンリーの農場を引き継ぐことになりました。パースの妻であるオリーブは植物学に強い関心を持つ、パースのよきサポーターでした。二人は農場を引き継いですぐに、2つの困難に遭遇しました。

1つ目の困難は1927年に発表されたワイルド・フラワーとネイティブ品種保護法です。これにより、保護品種に該当するワイルド・フラワーは公共の交通手段で輸送することを禁じられました。

2つ目の困難は1940年代に自然保護活動家に提出された提案書で、NSW州における全ての原産植物の販売を禁止するというものでした。

パースとオリーブはこれに強く反対し、議員らにも積極的に彼らの意見を述べました。この件は後に州議会で審議されることになりましたが、彼らの努力と熱意が認められ、当時勢力ある党派の大多数の意見の一致を持って、自然保護活動家の提案書は退けられ、その代案としてパリー・ファミリーが提案したアイデアが採用されることになりました。この代案とは商取引可能な量のワイルド・フラワーが自生、または生産されている土地の所有者にライセンスを取得させるというものでした。

パリー・ファミリーはワイルド・フラワーを商業生産することは自然から花を採取しようと考えるきっかけを減らし、その結果環境保護につながるという考えを社会に受け入れさせることに成功したのです。
その後パリー・ファミリーは、生産に関する知識と経験を蓄積し、国内は勿論、海外にもワイルド・フラワーを送るようになりました。国の重要なイベントである、英国の女王が初めてオーストラリアに訪問した際も彼らの花が飾られました。また、生産されたワイルド・フラワーがはじめて海外に輸出されたのは1949年、送り先はロンドンで、当時のクイーン・エリザベスの母の誕生日を祝うためのものだったと言われています。 

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■ 1950年代初め頃、エドナ・パリーが近隣の人と共にクリスマス・ブッシュの収穫をしている様子  

■ パース&ジェフ・パリーが1950年代初め頃、ロンドンにあるオーストラリア・ハウスで飾るための花を選んでいる様子

 

■ パース&オリーブ・パリー夫妻が花の選別をしている様子

この当時撮影したと思われる、素敵な写真が残っています。当時海外に送る花は紙で仕切りながら箱詰めされ、長旅で温度が上がらないよう、断熱用にシダ類を同梱していたようです。

今日、パリー・ファミリーの3代目に当たる、ブライアン・パリー氏が先代の意識を継ぎ、NSW州北部にある農場にて、様々な種類のワイルド・フラワーの生産とマーケティングを行っています。ブライアンは現在、生物学を考慮した方法を用いて生産しています。

スコット・ファミリー(山林から採取した花の販売から始まり、世代を経てワイルド・フラワーの生産と卸売りを営む、歴史ある生産・販売者) 

Mangrove Mountain ■ Mangrove Mountainにある、スコット・ファミリーの農場

East Coast Wildflowers社のクレイグ・スコット氏もワイルド・フラワー産業の長い歴史と共に歩んできたファミリーの代表です。

クレイグの曾祖父ウィリアム・ロビンソン氏は、電車の駅とWoronora墓地の間にある場所で、花や様々なものを販売していました。立地のよさから、墓地へ向かう人々にたくさんの花を販売できていました。

この店は次の世代に引き継がれ、その後に、3代目であるクレイグの父、コル・スコット氏が引き継ぐことになりました。この頃には店の近くに作った農場でバラなど一般品種の花を生産するようになり、NSW州シドニー南西部、Sutherlan

地方にある山林から採取した花と合わせて販売するようになりました。店はさらに発展し花束やアレンジメントを販売できるようになり、ナーセリーやフィッシュ・アンド・チップの販売店を併設した時期も経て、生花販売及びナーセリー専門業となりました。

Christmas Bush ■  クリスマス・ブッシュのグレーディングをしているコル・スコット

1950年代半ば頃、コルと彼の父はSutherlandの西部、Menaiに20エーカーの土地を購入し、ここをメインの生産農場とし、ここで生産した花を2箇所の墓地にある生花店に卸売し始め、売り切れない分は花市場であるヘイ・マーケット内に構えた彼らの販売所で販売することになりました。後にコルの母も手伝うようになり、1970年代までには店の後方に花の加工スペースを持った、立派な生花店を構えるまでになりました。

後に花市場がシドニー近郊のFlemingtonに移設されると、スコット・ファミリーの販売所も一緒にこちらに異動し、農場で生産されたダリアやグリーン、そして山林から採取されたグリーンもあわせて販売するようになりました。この頃、彼らは生産農場をNSWの北部Central Coast、Mangrove Mountain地方に移し、ここでワイルド・フラワーの生産に本格的に取り組むようになりました。

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■ 1990年代に撮影された、コル&クレイグスコット。
 シドニーマーケットにあるスタンドにて 
 

■ 現在シドニーマーケット内にある、East Coast Wildflowersの販売スタンド

現在では4代目であるクレイグ・スコット氏がビジネスを引き継ぎ、様々な種類のワイルド・フラワーを生産しています。そして、East Coast Wildflowersの名前でシドニー・フラワー・マーケットで卸売りも営み、珍しい品種も含めた高品質な花やグリーンを年間を通じて供給しています。5代目となるクレイグの娘、べサニーもすでにフローリストとして活躍しています。

Flower8_3 ■ スコットファミリーの5代目となる、べサニー・スコット

上記はオーストラリアの花卉産業の専門誌、 Australian Flower Industry の2013年9月号に掲載された記事から抜粋したものです。記事の原文は、ブライアン・パリー氏とクレイグ・スコット氏がオーストラリアで開催されたワイルド・フラワー協会の集会にて発表した内容に基づき、協会のコミュニケーション・マネージャーである、ベティーナ・ゴルナウ氏が作成しました。

 

Vol.1 自然環境

Vol 2 ワイルドフラワーの農場

Vol 3. ワイルド・フラワーの主な品種

Vol 4. グリーンの主な種類

Vol 5. 海外向け出荷

Vol.6  国内卸売

Vol.7  国内小売

Vol.9 バオバブの木